今は職人さんにお願いしている松摘み。忙しかったのか、来ていただく時期が少し遅くなったうえに、この寒波。

貴重面な義母は、いつもなら摘んで落ちた葉を、木の下で素早く片付けていく。

しかしこの寒さ…と案じて行ってみれば、寒がりさんはやはりコタツで猫のように背中を丸めていた。
庭中、大量の落ち葉。かがんだ作業姿勢はかなり腰に負担が来て、終わった頃には汗ばむほど。

毎年、こんなキツいことを一人でしていたのか…と思うと、少し申し訳ない気がした。

が、これには嫁の意地もあって。

結婚したてのころ、私も甲斐甲斐しく剪定の手伝いをした。主に夫が木に登って剪定、私はその周りの生垣担当。いずれは松の剪定を教えてもらおうと意気揚々だった。

だが、次の年から義母は一切私に手伝わせなかった。声すらかけない。

今思えば、生垣はよほど酷い出来だったのだろう。これでは松の剪定どころではない、ということか。

だが、息子である夫だけを呼び、私は蚊帳の外、とは随分な扱いだ、と内心憤慨していた。それ以来、こちらも意地で一切の手伝いを名乗り出なかった。

しばらくして、そのわけがわかった。

松は亡くなった義父がそれは大切にしていたものだった。少しずつ少しずつ成長する松は、剪定の仕方を間違うと可笑しな枝ぶりになってしまう。とても繊細なものなのだと知った。

子育ても終わり、義母は義父と一緒に松育てを楽しんでいるつもりなのだろう。亡くなって30年余、単なる作業ではなく、大切な思い出の時間を過ごしていたのかもしれない。

私が嫁いでから四半世紀、その間一切私に触れさせなかった松は、良い枝ぶりで玄関前に堂々と鎮座している。風格すら漂うほどだ。

意地もハラハラと散らせることが出来る歳になった。来年から落ち葉かきに行こう。義母は何も言わず、ゆっくりコタツでお茶でも飲んでくれるに違いない。