墓じまいの パンフ差し出す義母の手を 見れど目は見ず 心痛くて
今年から「墓守り」役を義母から引き継ぎ、腰痛と戦いながら掃除をしている。
最近の義母は、掃除どころか花を供えに行くのもしんどいらしく、めったにここには来ていないらしい。
前回と同じ花が、黄色くなって寂しそうに風に揺れていた。
義父が眠る墓に備える花は、いつも義母が丹精込めて育てている。
だから私は、花は買わない。
義母の花を預かり、それを掃除の最後に供えることにしている。
今は便利な時代だ。
花を供え、掃除し終わったお墓の写真をスマホでパチリ。
家に帰ってそれを義母に見せる。
「どこの家の墓かと思うくらい、綺麗じゃなあ」とおどけていう義母の優しさが、先日はちょっと辛かった。
一人っ子の夫、そして子のいない私たち夫婦には、この先重要な役がある。
無縁仏さまになってしまわぬよう、「墓じまい」のことを考えておかなければならない。
若くして亡くなった義父が眠る墓を、義母は長年ずっと守り続けた。
いつか自分もここで、長いときを過ごすと考えていただろうに。
でも。
家族の中で一番若い私が、最後に残ったときのことを考え、義母なりに出した結論だと思った。
ある日。
そのパンフレットを、折り込み広告かDMか、というくらいに何気なく差し出してきた。
私の心に負担をかけぬよう、軽~い読み物みたいに。
筋肉が落ちて、いつも震えが止まらないはずの手が・・・その日は、あまり大きく揺れていないように見えた。
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