「着物離れ」という言葉が使われ始めて久しい。
着る人が離れたのではなく、買う人が離れたことを表すように感じる。
七五三、成人式の振袖、卒業式の袴は、地域差はあるがほとんどがレンタルされている。
着物は家庭で持つものではなくレンタルするもの、が当たり前になる時代もそう遠くはないだろう。
家庭に和ダンスがないとか、置く場所がないとか、さまざまな理由で、気軽にレンタルは好まれる。
自由に選択できる時代だから、それもよいと思う。
それでもよいから、日本人として着物を着てもらいたいと思う。
現在レンタルされている着物は、式典等へ参列するための晴れ着が多い。
普段着着物は、着る人が少ないからレンタル品が少ない。
しかし、晴れ着ばかりが着物ではない。
普段から着るからこそ、着物の良さもわかるし、ひいては民族衣装への誇りも湧いてくると思う。
そんな話をすると、「普段着の着物ってなに?」と聞かれることもある。
洋服に普段着とドレスがあるように、着物にも「普段着」がある。
70年くらい前までは、着物で過ごす人は珍しくはなかった。
戦争、その後の高度経済成長、といった時代の流れが、普段着の着物を「珍しいもの」との意識に変えていってしまったのだろう。
私がほぼ毎日着ている着物は「普段着」である。
洋服でいうと、Tシャツとデニム。ブラウスとスカート。
冠婚葬祭で着るものと形はほぼ同じだが、素材・風合い・柄・軽さ、何もかもが違う。
普段着の代表格とも言えようか、紬などはその典型的かもしれない。
日本には紬の産地が豊富である。
有名なのは、三大紬と呼ばれる大島紬・結城紬・牛首紬だが、そのほかに、小さな単位でたくさんの地域で織られている。
というのも、紬は生糸で反物を作ったときに出る、捨てる部分の糸を「つむぎ」合わせてつくられているからだ。
日本人の「もったいない」精神が現れている。
今や、そのつむいだ味わいが、着物通にはたまらない魅力となるのだから、この精神は本当に素晴らしい。
しかし、どんなに素晴らしいものでも、それを購入し着る人がいないと、産地はどうなるだろうか。
作ったものが売れないと、どんな産業も衰退していく。
着物の世界でも例外ではなく、その波を避けては通れない。
そうなると、それに関わる産業のすべてが、技術を伝えていけなくなる。
一度廃れた技術を復刻させるのは、おそらく容易ではないことだろう。
着物にたずさわって20年。
ただ「着物が好き」から始まったが、ご縁あって着つけレッスン・きものコンサルタント等に携わっている。
着物の良さを伝える、楽でカンタンなやり方で皆さんの日常に着物がある生活のお手伝いをする・・・いろんな思いがあるが、そのひとつとして、「産地を守る」という思いを皆さんに伝えていく使命もあるのでは、と思っている。
着物を普段着に着ることで、素朴な着物の良さ、味わいの深さをお伝えしたい。
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