
品も質も本当に良い、夏の大島紬だった。
これをまとって、ご夫婦は旅行したのだろうか。
夏の夜、そぞろ歩きでビールでも飲みに行ったのだろうか。
紬とは思えない、たおやかな着物。 色も粋で男物といわれなければ、 そうは見えないくらい艶っぽい物だった。
「主人は着道楽だったのよ。」という奥さんの言葉は本当だな、 と納得した。
たくさんの着物を残し、 ご主人は若くして鬼籍に入られたのだという。
今日のパーティで彼女が着ていたのは、その大島紬だった。
ご主人のを自分用に仕立て直したのだという。
そう話す彼女は、いつもより一層優しい笑顔に見えた。
お祖母さんの、お母さんの着物を着ている、という話はよく聞く。
思い出いっぱいつまった着物を着ていると、 大切な愛情を受け継いでいると実感するだろう。
ご主人の着物・・・というのも、 それと同じくらい愛情を感じるアイテムだろう。
男性用の着物を女性用にわざわざリメイクするのだから、 愛情はひとしおだ。
男性用の洋服を女性用にリメイクするのは、 とても難しいだろうが、着物はそれができる。
男物のキモノは、柄も色も女性用のように多彩ではないが、 ちょっと粋でちょっと格好よい。
そんなキモノが好きな人には、もってこいの色柄だろう。
彼女はそんな雰囲気がよく似合う人だ。
むしろ、そうすることで、 より一層彼女らしい着こなしをしているように見えた。
他界されて十数年、家の中も心の中も、 少しずつ変わってきているはず。
でも、この着物は、彼女とともに生きる。
思い出も一緒に生きる。
着物って・・・・深い!
そういえば私も、袋帯を男性用角帯と女性用半幅帯に作り直し、 ペアルックを楽しんでいる。
着物ってこんなことができるから楽しい。
優しい笑顔の彼女は、 ご主人との懐かしい思い出と愛情にくるまれているように見えた。
着物は着るのではなく、「まとう」のだという言葉の意味が、 よくわかったような気がした。
匿名
着物は着るのではなく、「まとう」もの・・・・素敵ですね。
文中の女性・・・きっと、ご主人の「愛情」をまとっているのでしょうね。
人の生死の証は、結局のところ、「自分以外の人の意識の中にしか存在していない」・・のではないでしょうか。「その人を愛し、大切に想う」そうした人がいてくれてこそ、『生きている』ことになるように思います。愛する人の心の中に存在し続けるって、素晴らしいことだと思います。
kimonoterrasse
袖を通すことがなくなった、と言いながら、着物や帯を大切に持っていらっしゃる方がいます。それは、親御さんが大切な人が心を込めてつくり、持たせてくれたという思い出がたくさんあるからだと思います。
どれだけの時間が過ぎようとも、着物はそうやって思い出をすぐにでもよみがえらせてくれる、「愛情のタイムカプセル」なのかもしれません。
そんなあったかい「ココロ」をまとって生きる幸せを、着物は与えてくれるものだと思います。