新緑芽吹き、命燃え立つ5月、一人の友人が逝った。
長い闘病生活の末だったが、最後は苦しまず、安らかに息を引き取ったそうだ。
思い出が多すぎて、なかなか整理がつかない。
青春時代から、それだけの時間が過ぎたということか。
ご主人の転勤でタイに居る彼女をたずねて行ったとき。
現地でフラリ街歩きをしようとのんびり構えている私に、彼女が道順を説明してくれる。
それが、方向音痴の彼女の説明は、まったくと言っていいほどわからない。
地図を一枚くれたらいいから、とヒョイヒョイ出かけた私を、買い物にも行かずじっと自宅で待っていてくれたっけ。
ジム・トンプソンの館でボランティアガイドをしていた彼女。
博物館学芸員の資格を持つだけあって、戸板に水が流れるかのごとく、とうとうと、そしてわかりやすく説明してくれる。
どこに行っても違う国でも、自分がしたいことをやっている、彼女のバイタリティーはすごいな!と感心した。
帰国したときは、時間を合わせて会った。
昔から婦人科系疾患を持っていたから、帰国のたびに定期健診にも行っていたと聞いていた。
これだけ生真面目で、自分のやりたいことに一所懸命な彼女だから、空の上でも、きっと誰かに必要とされているだろう。
彼女が荼毘にふされたころ、私は曹源寺の毘沙門会で一心不乱に般若心経を唱えていた。
いつもはカミカミなのに、この日はとてもスマートに唱えることができた。
そして心は瀬戸の凪のように穏やかだった。
天に召されていく彼女に、きっと私の声は届いただろう。
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