児島帯とは
~和で魅せる~岡山おしゃれスタイル
雄大な瀬戸内海は、
豊かな恵みとともに発展し
様々な技術が集積する世界でも有数の場所です。
特に、江戸時代に
大規模に干拓されて陸続きになった「児島」では
土壌に塩分を含むため、
塩害に強い綿花が広大な土地で栽培されました。
やがてそれは、綿花から綿糸、綿布生産へとつながり
「繊維の街」と呼ばれるまでに発展しました。
近年、その価値をさらに高める、
近年、その価値をさらに高める、
独自の加工技術や縫製技術が次々と生み出され、
「児島」は高い品質と技術力を誇る街として、成長を続けています。
【児島帯】は、その繊維の街 「児島」の
デニム・たたみべり・真田ひもを組み合わせて、
つくられています。
つくられています。
女性用半巾帯と、男性用角帯をメインに、
「良質」
「おしゃれ」
「おしゃれ」
をモットーに、デザインをしております。
児島帯の特徴(一)
畳べりを使っている理由
児島は、畳べり生産が全国一位って、
ご存じでしたか?
(※畳べり=畳の縁を彩り、縁を守るために縫い付けられている布)
児島帯はリバーシブル仕様(半巾帯)となっており、
その片面は、この畳べりを使っています。
畳べりの特徴は、
①軽い
②汚れてもサッとふき取ることができる
(汚れの種類にもよります)
③ハリが強い
この、③の特徴によって、
今までの帯とは、一味違う、
大きくて華やかな帯結びができるようになりました。
今までの帯とは、一味違う、
大きくて華やかな帯結びができるようになりました。
これが、たった1本の半巾帯で!?
と、思うようなボリューム感です。
と、思うようなボリューム感です。
素材を変えることで、
今までとはちょっと違った着物姿を演出できます。
今までとはちょっと違った着物姿を演出できます。
同じ着物と帯の組み合わせでも、
帯結びのバリエーションや魅せ方を工夫して、
ずっと楽しめますね!
児島帯の特徴(二)
半巾帯をつくろうと思った理由
児島は、どこにでもあるような繊維の街ではありません。
では、他の繊維の街、とは?
では、他の繊維の街、とは?
一般的には、
・1種類の繊物を、分業で製作している
・名産・特産となる繊維を、大小の企業が製造している
・1種類の繊物を、分業で製作している
・名産・特産となる繊維を、大小の企業が製造している
などなどではないかと思います。
児島の繊維は、
もともとは、綿花の栽培から始まり、
綿糸、綿布、綿製品、と発展してきました。
もともとは、綿花の栽培から始まり、
綿糸、綿布、綿製品、と発展してきました。
その後、時代のニーズに合わせて、
さまざまな種類の繊維に取り組み、
さらに加工技術・縫製技術をも発展させ、
高い技術力でオリジナリティあふれる製品を
生み続けている、
さまざまな種類の繊維に取り組み、
さらに加工技術・縫製技術をも発展させ、
高い技術力でオリジナリティあふれる製品を
生み続けている、
そんな、繊維の街です。
この、複数の種類の繊維業が集まっている
ユニークな「繊維の街」を、
広く皆さまにお伝えするには、どうしたらよいか。
ユニークな「繊維の街」を、
広く皆さまにお伝えするには、どうしたらよいか。
そこで、
複数の繊維を使って1本の帯をつくり、
この街を紹介しよう、と考えました。
この街を紹介しよう、と考えました。
それには、
リバーシブルで使える帯がピッタリ!
リバーシブルで使える帯がピッタリ!
男性用は角帯
女性用は半巾帯
女性用は半巾帯
が、最もふさわしいと考えたことから、
今のラインナップに繋がっています。
今のラインナップに繋がっています。
児島帯の特徴(三)
児島にはすぐれた縫製技術がある
畳べりの反対面には、
児島で一番有名な繊維「デニム」と
最狭の織物、と言われている「真田ひも」を
児島で一番有名な繊維「デニム」と
最狭の織物、と言われている「真田ひも」を
使っています。
デニムの種類には、
カジュアルな「ライトデニム」と
着物にも使っている高級な「シルクデニム」。
カジュアルな「ライトデニム」と
着物にも使っている高級な「シルクデニム」。
両面が異素材のものを縫い合わせるのは、
実は、縫製のプロでも、とても大変なのです。
実は、縫製のプロでも、とても大変なのです。
特に、畳べりはすべりやすい素材なので、
長い帯を縫っている間に、
どんどんズレて・・・
長い帯を縫っている間に、
どんどんズレて・・・
私も一度挑戦してみたのですが、
最後はまったく長さが合わず、
とんでもないことになってしまいました(苦笑)。
最後はまったく長さが合わず、
とんでもないことになってしまいました(苦笑)。
素材や生地の厚さが違っても、
縫製工程の複雑なジーンズ等を縫う
優れた縫製技術が児島にあったから、
児島帯は生まれました。
縫製工程の複雑なジーンズ等を縫う
優れた縫製技術が児島にあったから、
児島帯は生まれました。
児島帯の特徴(四)
絶対に曲げられなかった信念
児島帯を製作するにあたり、
以下の3条件を満たすものをつくる、と決めました。
以下の3条件を満たすものをつくる、と決めました。
①帯の重さは500gまで
②色落ち・色移りしない
③家庭でメンテナンスできる
②色落ち・色移りしない
③家庭でメンテナンスできる
①帯の重さは500gまで
帯は、重いと体に負担がかかります。
それで、袋帯の半分以下の重さの帯にするため、
(袋帯は約1kg)
それぞれの生地選びを始めました。
それで、袋帯の半分以下の重さの帯にするため、
(袋帯は約1kg)
それぞれの生地選びを始めました。
が、
3種類の素材を組み合わせた重さが、
500g以下にするために、
これほどまでの種類のデニム生地を試すことになるとは、
思っていませんでした(笑)。
3種類の素材を組み合わせた重さが、
500g以下にするために、
これほどまでの種類のデニム生地を試すことになるとは、
思っていませんでした(笑)。
厚みのあるデニムだと、デニムらしさはバツグンですが、
・重い・硬くて結びにくい
・薄いデニムだと、デニム感がない・安っぽい
・薄いデニムだと、デニム感がない・安っぽい
厚みや質感などでも、いろんな問題が山積みでした。
もちろん、②色落ち・色移りしない についても
同時進行に考え、生地選びを続けました。
同時進行に考え、生地選びを続けました。
試行錯誤のうえ、現在は、
★カジュアルな帯には ライトデニム生地
★エレガントな帯には シルクデニム生地
を使っています。
③家庭でメンテナンスできる
③については、
a.家庭で手洗いができる
b.アイロンがあてられる
a.家庭で手洗いができる
b.アイロンがあてられる
の2条件をクリアすることを目標にしました。
a.家庭で洗えるということは、
・雨や汗などで濡れても大丈夫であること
・雨や汗などで濡れても大丈夫であること
これは、②の色落ち・色移りとも関係します。
・縮まないこと
これについては、素材それぞれの縮率(濡れて縮む%)を調べ、
全体的にバランスが合うように整えました。
これについては、素材それぞれの縮率(濡れて縮む%)を調べ、
全体的にバランスが合うように整えました。
ここで整えていないと、
結ぶという斜めにかかる引っ張りに対し、
どんどんと変形していってしまうからです。
結ぶという斜めにかかる引っ張りに対し、
どんどんと変形していってしまうからです。
b.アイロンがあてられるということは
・熱に強いということ
・熱に強いということ
これは、畳べりが問題でした。
本来、建築資材である畳べりは、
折り目がきちんとつく素材で出来ています。
折り目がきちんとつく素材で出来ています。
その素材が熱に弱いのです。
ですので、帯として結んだときに
どうしてもついてしまうシワ、
これをアイロンで伸ばそうと思っても、使えません。
どうしてもついてしまうシワ、
これをアイロンで伸ばそうと思っても、使えません。
これについては、畳べり製造会社に直接お願いに伺い、
新たに帯用として、畳べりをつくっていただくことになりました。
新たに帯用として、畳べりをつくっていただくことになりました。
今、児島帯では、
市松柄、鮫柄のデザインの畳べりを使わせていただいています。
市松柄、鮫柄のデザインの畳べりを使わせていただいています。
同色・同柄の畳べりはありますが、
児島帯に使っているものは、オリジナル畳べりです。
児島帯に使っているものは、オリジナル畳べりです。
こちらを製作いただいた
畳べりの髙田織物株式会社・高田会長さまには、
本当に感謝しかありません。
畳べりの髙田織物株式会社・高田会長さまには、
本当に感謝しかありません。
こうして、数々の問題をクリアし、
児島帯は今、皆さまにお使いいただいています。
児島帯は今、皆さまにお使いいただいています。
こちらに
【児島帯】制作に至った『想い』をつづってくださっているブログを、ご紹介させていただきます。
~「児島」にこだわる ある想い~
私は神戸市の生まれです。
1995年の阪神淡路大震災で、実家は被災しました。
幸い、家族やご近所の皆さんは無事でした。
が、ご近所さんは次々と引越をしていかれ、
気がついた時には、
慣れ親しんだコミュニティがなくなっていました。
そのことに、とても大きな空虚感を覚えました。
ある日、ふとしたことがきっかけで、
児島が「繊維の街」と呼ばれていることを知ります。
海沿いにある児島は、
約400年前からの綿花栽培にはじまり、
北前船等の物資輸送で綿を中心とした繊維産業が盛んとなり、
それが今に繋がっています。
約400年前からの綿花栽培にはじまり、
北前船等の物資輸送で綿を中心とした繊維産業が盛んとなり、
それが今に繋がっています。
長い歴史の中で発展した繊維産業で、
人と人は繋がっていました。
「そうか、産業があれば街は残るんだ」
お節介な話かもしれませんが、私は
「街を残すお手伝いがしたい」
そう思いました。
というのは。
私は阪神淡路大震災の約10ヶ月前から岡山に住んでいました。
あの激しい揺れに合わず、怖い思いをせず、
そして、そのおかげで、
家族に、食料や必需品を運ぶ、後方支援ができました。
私は「岡山に守られた」、そう思いました。
勝手な思い込みですがそれで私はいま、
少しでも岡山に恩返しがしたくて、
「街を残すお手伝い」をさせていただいています。
少しでも岡山に恩返しがしたくて、
「街を残すお手伝い」をさせていただいています。
今後、この先ずっと、100年後でも、
「岡山と言えば、シルクデニムの着物や、児島帯だよね」
という言葉が聞かれるような、
これが街の文化として残っていてほしい、と願っています。
そのためには、
まだまだ、皆さんに愛してもらえるものをつくる責任がある、
と思っています。
まだまだ、皆さんに愛してもらえるものをつくる責任がある、
と思っています。
着物を着たとき、姿勢が自然にスッと伸びて、
人にも自分にも丁寧な振る舞いができる
そんな人が増えることで、良い社会になる。
使って
楽しんで
街が残る
楽しんで
街が残る
そんなものをつくり続けたいと思っています。
そしていつか
「岡山を和服の産地にする」
ことが、
私の大きな夢です。