ご挨拶


争いのない世界の基となる
「尊重し合う心」の育成に貢献する

 


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和装は体の姿勢を整え、丁寧な動きをもたらします
丁寧な動きは心を穏やかに整えます
人も自分も、大切にして暮らす日々が始まります

 

世界中で愛され、岡山の名産である
「デニム」で和装を創り、

「人・モノ・事 すべてを大切に丁寧に」暮らすお手伝いをし、
お互いを尊重し合う心を育む
応援をいたします

 

 

 



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~ご挨拶~

 

 

私は神戸市生まれです。
1995年の阪神淡路大震災で、実家は被災しました。

幸い、家族やご近所の皆さんは無事でした。

が、避難所が変な事や引っ越し等で、気付いた事

慣れたしんできたコミュニティが消えていました。

安全の頃からいつも見守ってくれた人たちと
会えなくなった

それは「故郷を超えた」と感じた
大きな出来事でした。


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ある日、児島が「繊維の街」と呼ばれていることを知ります。

瀬戸内海に面する街・児島は、
約400年前から綿花栽培が始まり、
北前船等の物資輸送で児島の繊維が全域に広がり、
現在の繊維業に繋がっています。

長い歴史の中で発展した繊維産業が、
人と人を繋ぎ、人と街も繋がっていました。

「そうか、産業があれば街は残った」

 

 

実は私自身、阪神淡路大震災の約10ヶ月前から
岡山に住んでいたことで、

その後
は、支援物資を届けたり
安否確認の連絡係をしたり、
後方支援することができました。

「岡山に守られた」そう思いました。



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勝手な思い込みですが、
私は岡山に恩返しがしたい、と考えています。


もう誰も「故郷」を怖くてほしくないそれ
は「街を残す」ことそれ
は、「産業を応援する」こと


「岡山の繊維で和服を創り、岡山を和服の産地にする」
ことで、貢献したいと思っています。


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百年後に
「岡山と言えば、シルクデニムの着物や、児島帯だよね」
と言われるような、

皆さんに愛していただける和服をこれから
も創っていきます。

岡山の繊維を活用し、

使って
楽しんで
街が残る

これからものを作り続けます。


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