紐と呼んでいますが、実は細幅の平織物で、
組み紐等に比べて伸びにくく、大変強くて丈夫にできています。
名前の由来は、戦国時代、真田昌幸・幸村親子が関ヶ原合戦後、
九度山に幽閉されている頃にこの真田紐を織り、
それを「真田が作った強い紐」と行商人が売り歩いたことから、
「真田紐」と呼ばれるようになったという説があります。
その紐が児島に伝わり、当時、大変盛んだった
金毘羅宮と由加神社本宮とを両方参拝する
「両参り」に訪れた旅人が、参道の土産物店で買い求めたことから、
全国に広がっていきました。
児島で真田紐を織るようになったのには、理由があります。
岡山県倉敷市児島は、もともと海に浮かぶ島だったこともあり、
児島の土は塩分を多く含んでいました。
米作には不向きでしたが、塩分に強い綿栽培には大変適していたのです。
ですので、今でも児島の真田紐は、上質な綿100%で織られています。
塩田王と称される野崎武左衛門氏(ナイカイ塩業創始者)も、
もとは木綿機業者で、小倉足袋の製造販売をしていました。
その後、塩田開発に成功し、現在、その広大な邸宅は
「旧野﨑家住宅」として、国の重要文化財に指定され、
児島の主要な観光地として公開されています。
最近では、菅田将暉さん主演の映画「ミステリと言う勿れ」の
ロケ地にもなっています。
その後、児島の木綿織業は、最細の織物・真田紐から
デニムや帆布などの広幅織物まで、
時代とともに目覚ましい発展を遂げていきました。
真田紐は、その発展の始まりともいえる、歴史ある織物です。
真田紐は、幅が狭いことから
テキスタイル製品のメインになることは少ないですが、
その分、アクセントに用いると、大きな存在感を示します。
「児島帯」は、畳べりとデニムのリバーシブル帯です。
すべて岡山県倉敷市児島の繊維でできています。
真田紐は、帯のデニム面にあしらい(装飾)として用いています。
これがとてもオシャレだということで、現在は、
4種類の真田紐の中から、好きな柄の真田紐をチョイスし、
ご自分だけの帯としてお楽しみいただいています。
児島帯をデザインするとき、
どうしても真田紐を使いたい、という思いがありました。
それは、真田紐の由緒ある歴史の重さと、それゆえの存在感です。
児島帯は2017年に生まれた、和装の中では新しい帯です。
ですが帯に使われている素材は、すべて歴史があります。
特に真田紐は、児島機業の恩人として、
瑜加山上に真田幸村の頌徳碑を建てていることから、
400年の歴史がある、と言われています。
昔の人が大切に守ってきてくれたからこそ、
現代において、私たちは使うことができます。
これからも、新しい発想で新旧を組み合わせ、
良いものを創り続ければ、後世の人々には、
さらに良いものとして伝わるでしょう。
真田紐をあしらった「児島帯」が、百年後の和装をビビットに美しく魅せ、
その歴史を500年、600年と刻んでいく・・・
今はその一歩の年です。