名前の由来
真田紐(さなだひも)と聞いて、少し歴史に詳しいかたならきっと、「真田幸村」を連想されると思います。
名前の由来については諸説ありますが、
今回はそのうちの一つと、歴史と発展についても、合わせてお話させていただきます。
真田幸村と真田紐
真田紐の名は、戦国時代の名将・真田幸村(真田信繁)に由来する、という説があります。
真田幸村は、その卓越した戦術と勇敢さで知られています。大阪冬の陣、夏の陣での勇猛さは、今でも語られていますね。
ですが、実はそのときには「真田紐」はまだ生まれていませんでした。
江戸時代と真田紐
戦国時代の終わりとともに、江戸時代が始まります。
そのとき、天下分け目の関ヶ原の合戦で敗れた真田幸村は、和歌山県の九度山町に、父・昌幸とともに幽閉されます。
真田親子は、九度山町から出ることは許されませんでしたが、
代わりに家臣が、情報収集のため、全国各地を動き回ります。
その時に行商の商品として使ったものが「真田紐」と言われています。
当時はそのような名前では呼ばれていませんでした。
細い平織りの織物、丈夫な紐というイメージ、だったことと思います。
やがて時代は「大阪冬の陣・夏の陣」を迎え、
勇猛果敢な働きをした真田幸村でしたが、夏の陣で最期をとげます。
その幸村の雄姿と丈夫な紐が、どこかで重なり合い、
「真田がつくった強い紐」と言われるようになり、
それが「真田紐」となった、との説があります。
児島と真田紐
真田紐が児島に伝わったのは江戸時代。
真田の家臣が行商して伝えたかどうかは、はっきりしませんが、
江戸時代に、香川県の金毘羅参りと岡山県・児島の由加大権現参りをする
「両参り」が盛んになったとき、
参道では、真田紐をお土産に求める旅客でにぎわっていた、と、
【金比羅参詣名所図絵】に記録されています。
江戸時代は、児島で綿の栽培が盛んになります。
地元で育てた綿で、真田紐をつくり、
その技術がどんどんと進化し、
いまの「繊維の街児島」につながっていきます。
これからの真田紐
今、真田紐は、日常生活でも広く使われるようになりました。
ブレスレットやバッグ、インテリアアイテムなどに活用されたり、
帯のデザインやアクセントにも定評です。
真田紐の美しさと実用性は、日本国内だけでなく、海外でも評価されています。
児島の真田紐は、約400年という長い歴史を持ち、
その耐久性と美しさでも日本の伝統工芸品として高く評価されています。
真田紐の歴史と魅力を知ることで、日本の伝統文化に対する理解が深まり、その
美しさを再発見することができるでしょう。
これからも真田紐は、その歴史と伝統を守りながら、現代の生活に新しい彩りを添えていくことでしょう。
真田紐を使ったアイテムに触れるイベントがあります。
ご案内させていただきます。
日時:2024年7月17日(水)~2月23日(火)
10時~19時30分
場所:天満屋岡山店 5階
真田紐をはじめ、デニム・畳べりという、この地ならではの繊維を使った「岡山おしゃれスタイル」の数々をご覧いただきます。
どうぞ気軽にお越しください。